2010年2月24日水曜日

エキシビジョン


2010年2月20日

インターンシップで服作りのお手伝いをしているColenimoのエキシビジョン。
会場はロンドンの代官山、Primrose Hill(ジョニー・デップもご近所さん)の家具の会社のショールームにて。
モダン高級家具が並ぶ素敵な広い空間に、服たちがつるされ、素敵なカフェ&バーみたいな雰囲気。
デザイナーのアヤさんもその旦那様もとってもセンスがいいからだ。

エキシビジョンにはお客さんがたくさんきて、みんなくつろいで楽しんでもらえたみたい。
9時終了のはずが、最後のお客が帰ったのが10時半だった。

私のロサンゼルス出身の友達は、ひと通り見た後、「これ、全部ほしいんくらいなんだけど、どうやったら買えるの!!」
と私に詰め寄ってきた。
アメリカ西海岸ではてっきりForever21とかアバクロとかキットソンみたいなのばかりかと思いきや、Colenimoみたいな感じのもおしゃれ女子には人気らしい。
ロンドンより、パリとか日本とかロスの方が売れるかも。

今回のコレクションで私と友達2人のいちおしはニットの(バカボンのパパがはいてそうな)レギンス!
ロンドンのバイヤー達は無視だったそうですが、今すぐにでもほしい3人組なのでした。

2010年2月17日水曜日

アラビアンディナー


丁度1週間前、大学からの友達が出張でロンドンに来た。
ホテルがHammersmithだったので、その近くの私のお気に入りのイラン料理屋に行った。
ここは、アルジェリアンの友達が連れてきてくれたところで、安くてボリューム満点!
アラビアン料理は野菜もたくさんとれるし、お肉もちゃんと味付けされてるし(イギリス人は下味付けないから。。。)、そしてごはんもナンも食べられる!
さらに、お酒が飲めない友達にはぴったり!!
そして、今日はデザートにも初挑戦!
出てきたのは、ナッツが入ったサフランのアイスと、そして春雨のようなそうめんのようなヌードル上のものが入ったレモンシャーベットのような代物。
ウエイターが行っていた、like Chinese noodleってこれか。。。
見た目も??だったけど、味も??な感じで、しかもかなりのボリュームだったので半分でギブアップ。

その後、ホテルのカフェで遅くまでふたりでおしゃべりした。
結婚のこと、仕事のこと、家族のこと。
友達は大学時代に1年メルボルンに交換留学し、大学卒業後住宅販売会社の事務をしていたけど、やっぱり海外に関わる仕事がしたくて転職。
今はキッチン用品のバイヤーとして世界中を出張している。
うらやましーー!!

2010年2月16日火曜日

初めてのタイクラブ


先週金曜はクラスメイトのタイ人の女の子の誕生日だった。

今のコースでも、前通っていた語学学校でも、ベストフレンドはなぜかタイ人。
日本人と性格が合うのかも。
他人を気遣えて優しいし、まじめさ具合も(まじめすぎないとことか)日本人に似てるし、そして彼らは日本が好き。
non-noとか読んでたし。
見た目も、他のアジア人よりも目元が優しくて、日本人に近い感じ。

金曜はHammersmithからさらにバスで行った、どこの駅からも遠い感じの場所にあるSom Tam Houseというタイレストランでディナー。
次々出てくるタイ料理を、汗涙流して、たまに鼻までかみながらひたすら食べた。
お腹いっぱい食べて、なんとひとり£13!

その後、Gloucester Roadにあるタイクラブへ。
タイクラブとは、タイ人が集うクラブのこと。
レストランの地下にある、そのクラブのドアを開けた瞬間、異空間が広がっていた。
渋谷のシダックスの一番大きい部屋くらいの広さの部屋に、若いタイ人達がぎっしり。
みんな10代後半?どうりで私だけIDチェック甘かったわけだ。
ソファーがあっても当然座るところはなく、みんな総立ちでタイの歌を歌い踊っていた。
びっくりなのは、ほとんど全員が歌詞全部知ってるらしいところ。
メロディーは日本の歌に似ている感じで、タイ人達のファッションも日本の原宿とか109の女の子とそっくり。

みんなが踊る姿を見て、会社のカラオケを思い出した。
支店のカラオケで、グラスを割りまくりながら、みんな総立ちで踊りまくったものでした。なつかしい。

2010年2月12日金曜日

terribleな一日

今日は大変な一日でした。

いつものように台湾からのスカイプで起こされ、ランチになってしまった朝ごはんを食べながらスカイプしていたところに一通のテキストが。。。
「宇多田ヒカルのコンサート、まだ興味ありますか?」!!
初ロンドンコンサートのチケットは発売後すぐSold Out、私が新聞で見たときにはすでに数日たっていた。
ネットでは100ポンドとかそれ以上で売ります、の広告が出ていた。
超ファンというわけではないけど、4曲くらいしか知らないけど、クラブより小さいくらいの会場でしかも20ポンドなら行きたかったなーとあきらめていたところ、昨日掲示板で定価で売ってくれるという奇特な人を発見し、メールしたのだ。
期待しないで待っていたのに、買えてしまった!!
会場は笑ってしまうくらい小さかったけど、宇多田はちゃんと来た。
いつものようにどさくさにまぎれて最前列に行く心積もりをしてたのに、日本人が半数以上の会場では、みんなおとなしくて後ろから突進してくる人もなく、それどころかノリノリで踊る人すらいなくて、みんなその場から動かず、私ものっぽで邪魔な若い兄ちゃん達の隙間から宇多田をのぞき見るしかなかった。
良く見ると、私でも知らない歌を欧米人の兄ちゃんがちゃんと日本語で口ずさんでいるので、許すことにした。

コンサートを楽しんで会場を出た後、一通のテキストが。
インターンシップ先のデザイナーからで、文末に「rip mcqueen」とあった。
これ、何だろねーと友達と話していたら、さらに別の友達からもう一通。
そこで私はMcQueenの訃報を知った。
その友達にあわてて電話して確認して、どうしていいかわからず、どうしようもないことを知りつつ、そのまま歩いて彼のオフィスに行った。
ガラス張りになっているところはすべて白い板で覆われ、ドアに「親族達のことを考えて、マスコミ等はご遠慮下さい」という趣旨の張り紙がしてあった。
やっぱりどうすることもできなくて、自宅もどこかわかったけど、だからといってどうすることもできないのでバスでセンターに出て、パブでワインを飲んで、そして帰った。

こんな日って、あるのだ。

彼がいたから私は今ここにいるのに。

2010年2月9日火曜日

Muhammad Yunus


なんと、憧れのMuhammad Yunusがうちのコースに来た!!
先週time tableで彼の名前を発見し、まさかと思ってコースディレクターにも確認したら、やっぱり本人だということが判明。
お姉さんがグラミングループで働いているというクラスメイトにも聞いてみたところ、なんと彼女がオーガナイズしたとのことだった。
Thank you, アニカ!!

そして、お昼に新しいプロジェクトのミーティングをしていたら、Dr.Yunusが数人を従えて玄関から入ってきた!!
そのままコースディレクターや他の講師とランチを始めた様子だったので、そのすぐ外のミーティングスペースで、彼らがランチするのをガラスドア越しに見ながら本を読みながら出待ちをしてみた。(結局Lecture直前まで出てこなかったけど)

講義の内容は既に本を読んでいたので全部知っている内容だったけど、生で見るDr.Yunusは背が低くて優しそうで、ふつうのおっちゃんだった。
質問にも熱心に答えてくれていた。

講義後、会議室を出て行く彼を、クラスメイトと二人で本とカメラを握り締めて追っかけた。
そして、念願のサインゲット!!
'I'm very happy to see you!!'と握手してもらって、サインしてもらって、名前を告げたら「日本人?日本のどこ?」と聞かれたので、'Obama city, the same name as American President!' と答えてみた。
2ショットも撮ってもらって超満足☆
コースディレクターも「Fantastic!」と嬉しそうだった。
しかし、他の誰もこんなことやってなかったのが不思議。
そもそもDr.Yunus自体を知らない人ばかりで、私が本を持っているのを見て驚いていたり、私の方がびっくりだよ!

他のクラスメイトにもまた「ミーハー」って言われたけど、でも私ちゃんと本読んだことあるし、UCLのランゲージセンターではグラミン銀行についてのエッセイまで書いたし!
2006年にノーベル平和賞受賞の記事を日経で読んで以来のファンだったのだ。
本当にマイクロファイナンスを大学院で勉強しようと思って調べたこともある。
会社を辞めるとき、上司にも「ファッションかマイクロファイナンスを勉強するつもりです」って辞めたし。
でも結局、貧しい人のための仕事に就いたとしても、オフでは贅沢のためのファッションを捨てられないと思って、そんな両立をしてもいいのかどうか自分の中で結論出せなかった。
マイクロファイナンスについても、本当に貧しい人に20%とか30%とかの金利でお金を貸すことが(悪徳業者よりも低金利とは言っても)、寄付や援助よりもいいのかわからない。
「ネクストマーケット」も読んだけど、本当にpoorest of the poorの中でビジネスしていいんだろうか。
でも、Dr.Yunusの言うように、いつか自分なりのやり方を見つけられるといい。

2010年2月8日月曜日

今日、バイト先にて

バイト先でバングラデシュ人といっしょにまかないを食べながらしばらくおしゃべりした。

明日、クラスにドクターユヌスが来ると言ったら、行きたいけど仕事がある、と残念そうにした。
日本語が上手な彼は、新宿や池袋のレストランやセブンイレブンのお弁当工場で働いていたそうだ。
日本人は優しいし好きだからまた日本に行きたいからビザが降りるのを待っているのだという。
いつになるかわからないけど。
ロンドンには12月に来たばかり、来る前からインターネットで日本人経営のレストランを検索して、来てすぐにバイトを申し込んだそうだ。
学生ビザで、週2日語学学校に通っている。
日本人はどこの国でもビザがすぐとれていいね、と言われた。
日本人にとっても留学はお金がかかるし大変なんだよ、と言ったけど、大変のレベルが違うのだ。
それでも彼は留学できるくらいだから、バングラデシュではすごいことなんでしょ、と聞いたらうなずいていた。

母国が嫌いで、バングラデシュに帰国たけどすぐに病気になったりしたそうだ。
自分の国の人たちは表面と中身が違う、表面上良く見えても本心で反対のことを考えていたり、人をだましたりする、だから帰りたくない。。。
ロンドンでも、語学学校にバングラデシュ人もいるけど携帯番号交換したこともない、日本人だったら友達になりたいけど。

貧乏な国にいったことはあるか?と聞かれ、ベトナムとカンボジアに行ったと答えたら、そんなの貧乏な国じゃない、と言われた。
父がインドに旅行で行っていると言ったら、インドよりバングラデシュはもっと貧乏だ、と。

日本は貧乏じゃないから、明日のことを心配したりしない。
僕は貧乏な国から来たから、来年のこととかも考えてるんだ、と彼は言った。

バングラデシュといえば、ということで、首都ダッカをつくったナザニエル・カーンの話をしてみたけど、知らないみたいなのでやめた。
どんな有名な建築家がたとえ自費を出してまでも首都をつくってくれたとしても、普通の人の生活には関係ないか。


日本でもフィンガープリントが始まってしまったから、違う名前を使ってビザとったりもうできないんだ、と彼はつぶやいた。


その後、レストランでは2人組みのイケメンゲイカップルに食い逃げされた。
バイト仲間の「ありがとうございましたー」の声に続いてありがとうと言いかけて、あれ?と思ってレジを確認している間に彼らは外に出て、私とマネージャーがすぐ追いかけたのにもうどこにもいなかった。
しれっと悠々と店を出て、そして猛ダッシュしたっぽい。
ひとりは小さいお好み焼きを食べ、もうひとりは味噌汁とごはんを食べていた。そしてビール。
計23ポンド。